皆さんは、最初に買ったCDを覚えていますか?あるいは、親の世代から受け継いだCDコレクションを眺めながら、「この銀色の円盤が、かつてどれほど画期的だったのか」を想像したことはありますか?
2026年の今、音楽はストリーミングで聴くことが多くなりましたが、約40年前に登場したコンパクトディスク(CD)は、音楽の聴き方を根底から覆す「革命」でした。今回は、そのCDの誕生秘話から、世界を席巻するまでの道のりを、確かな情報源を基に紐解いていきます。
CD登場以前の音楽メディア
CDが登場するまで、音楽を「聴く」ことは、ある種の「雑音との戦い」でもありました。当時の主流はレコード(vinyl record)。アナログ盤は温かみのある音が魅力でしたが、埃や傷に弱く、再生するたびに針が擦れて音質が劣化していくのが宿命でした。また、コンパクトカセットテープは携帯性に優れていましたが、テープヒス(シャーという背景ノイズ)が付きまとい、曲を探すには早送り・巻き戻しで待つ必要がありました。
そんな中、オランダのフィリップス社内では、ある「失敗」から、全く新しいメディアの構想が始まっていました。
開発の幕開け:フィリップスとソニーの協力
CDの物語は、1970年代初頭に遡ります。フィリップスはビデオディスク技術(VLP:Video Long Play)の開発に取り組んでいましたが、高いコストや録画機能の欠如などから商業的には普及しませんでした。しかし、この技術開発で培われた「レーザーで非接触に情報を読み取る」という光学技術は、オーディオ分野に活かされることになります。
1970年、フィリップスはレーザー技術を使ったオーディオディスクシステム「ALP(Audio Long Play)」の研究を開始。当時の技術責任者だったルー・オッテンス(Lou Ottens)は、このディスクを既存のレコードより小さくし、約1時間の音楽を収録できることを目標に掲げました。
一方、日本ではソニー(Sony)も独自にデジタルオーディオディスクの研究を進めており、先進的なデジタル符号化技術やエラー訂正技術を持っていました。1979年3月、フィリップスが日本でCDのプロトタイプを公開したことが転機になります。その後、ソニーのアキオ・モリタ会長から共同開発の提案があり、両社は協力して共同作業部会を設立。世界統一規格を目指し、技術を持ち寄って開発を加速させました。
「74分」という壁:規格策定の舞台裏
規格策定において、最大の焦点となったのがディスクの大きさと収録時間でした。フィリップスは直径11.5cmを提案していましたが、ソニー側から「ベートーヴェンの第九交響曲の全曲が一枚に収まらなければならない」という強い意見が上がります。
ソニーの音楽部門を率いていたノリオ・オウガ(Norio Ohga)が、この交響曲をCD1枚に収めることを強く主張したとされています。なお、74分という数字の根拠については諸説あり、フィリップスの技術者によれば最終的な12cm径はEFM(Eight-to-Fourteen Modulation)という変調技術の採用によって生まれた余裕による面も大きいとされています。いずれにせよ、直径を12cmに拡大することで74分強の収録時間が確保されました。クラシック音楽ファン層への訴求という観点からも、この決定は重要な意味を持ちました。
1980年6月、両社はCDの技術仕様をまとめた「レッドブック(Red Book)」を完成させます。ここには、サンプリング周波数(44.1kHz)、量子化ビット数(16bit)、変調方式(EFM)、エラー訂正方式(CIRC:Cross Interleaved Reed-Solomon Code)など、現在に至るまで受け継がれる基本規格がすべて定められました。
1982年:世界初の商業CD、誕生
そして迎えた1982年。歴史的な瞬間は8月17日、ドイツ・ランゲンハーゲンにあるポリグラム(PolyGram)の工場で訪れます。エンジニアたちが初めて商業用CDのプレスに成功したのです。その記念すべき第一号は、ABBAのアルバム『The Visitors』でした。このアルバム自体は1981年にリリースされていたものですが、新フォーマットの象徴として選ばれました。
そして同年10月1日、世界で初めてCDプレイヤーとCDが一般発売されます。場所は日本。ソニーから発売されたプレイヤー『CDP-101』の価格は168,000円(当時)と高額でしたが、その画期的なテクノロジーは大きな注目を集めました。同時に発売されたCDは、ビリー・ジョエルの『52nd Street』です。
CDがもたらした「革命」
圧倒的な音質と静粛性:
レコードにあった「パチパチ」という表面ノイズや、テープの「シャー」というヒスノイズから完全に解放されました。デジタル信号をレーザーで読み取るため、再生による劣化が理論上ゼロだったことも大きい。
ランダムアクセス:
「頭出し」の概念が変わりました。カセットのように早送り・巻き戻しで待つ必要がなく、ボタン一つで好きな曲に瞬間的に飛べるようになったのです。
コンパクトさと耐久性:
レコードに比べて圧倒的に小さく、取り扱いが容易になりました。こうした利点から、CDはオーディオファンだけでなく、一般の音楽ファンにも瞬く間に広がっていきました。
CDの黄金期と、その先へ
1985年には、ダイアー・ストレイツの『Brothers in Arms』がCD史上初めてミリオンセラーを達成。このアルバムはデジタル録音技術を最大限に活用した音質の良さで知られ、CDフォーマットの普及に大きく貢献しました。アメリカにおけるCD出荷枚数は右肩上がりに増え続け、2000年前後にはピークを迎えます。
CDは「音楽」だけに留まらなかった
CDの技術は音楽だけに留まらず、コンピュータの世界も一変させます。1985年に策定された「イエローブック(Yellow Book)」は、CD-ROM(Compact Disc-Read Only Memory)の規格を定義。これにより、音楽だけでなく、プログラムやデータなどのあらゆるデジタル情報を記録できるようになりました。さらに1988年にはファイルシステムの国際標準規格「ISO 9660」が策定され、異なるOS間でもデータを読み取れる共通プラットフォームが確立。ソフトウェアの配布、百科事典などのマルチメディアコンテンツ、ゲーム機の媒体として、CD-ROMはパソコン社会の普及に絶大な貢献を果たしました。
その後、書き込み可能なCD-R(1990年代初頭登場)や、大容量のDVD、Blu-rayへと光ディスクの系譜は続いていきます。
ストリーミング時代のCD:その価値の変容
2000年代に入り、MP3やファイル共有サービスの登場、そして2010年代以降のストリーミングサービスの隆盛により、音楽メディアとしてのCDの役割は縮小していきました。しかし、近年再びCDが静かな注目を集めていることも見逃せません。
米国レコード協会(RIAA)の2024年年次レポートによると、CDの出荷枚数は前年比1.5%増の3,290万枚、売上高は5億4,110万ドルに達し、前年比0.7%増を記録しました(RIAA 2024 Year-End Revenue Report)。
その背景には、単なるノスタルジーではない、現代の音楽リスナーならではの欲求があります。
「所有する喜び」の再発見:
ストリーミングの利便性の一方で、「アルゴリズムに聴かされている」感覚に疲れたファンが、自らの意思で選び、手元に残す体験を求めています。
アーティスト支援の手段:
お気に入りのアーティストに直接収益を還元したいという明確な意思を持ってCDを購入するファンも増えています。
新たな「コレクション」として:
BTSやテイラー・スウィフトといったトップアーティストは、複数のジャケットバージョンや限定盤を戦略的にリリースし、ファンのコレクター心をくすぐる手法でCD販売を活性化させています。特にJ-POPやK-POPが長年得意としてきたこの手法は、今や世界的なトレンドになっています。
日本の特異なCD文化:
世界に先駆けてCDが発売された日本では、現在も独自のCD文化が根強く残っています。握手券や特典付きCDなど独自の販売モデルは、世界の音楽業界からも注目を集めてきました。
おわりに
レコードの「パチパチ」というノイズとの闘いから始まり、アナログからデジタルへの大転換を経て、CDは誕生しました。そして今、ストリーミング全盛の時代にあって、CDは「音楽を聴くためのメディア」から「ファンとの絆を形にするアイテム」「アーティストを支援するための手段」へと、その価値を変えながら生き残っています。
CDは決して「過去の遺物」ではありません。進化と変容を繰り返しながら、私たちと音楽との関係をこれからも豊かにし続けるでしょう。
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